ありがとうの日々

ヒーラーの私が、感じた日々のこと

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ルナからの大切な贈り物

ご無沙汰してます。突然ですが、どうしても書きたいことができたので、久しぶりに投稿しました。
すごく長いのですが、もし良かったら読んで下さい。

今月になって突然起きた、ルナとのことです。
ルナは一番最初のブログに載せたうちのおばあちゃん猫で、今年で23歳になりました。
ご心配になる方がいらっしゃったらいけないので、初めに申し上げますが、今も元気です。

と、書きましたが、今月の初め、突然ルナは体調を壊しました。
その日はなんとなく動きがおかしいような気がしただけでしたが、翌日突然激しい痙攣をおこしました。
子供の時から、たくさんの動物を育てた私は、何度も小さな動物の死を体験してきましたが、その時を思い出すような、激しい痙攣で固くなっていくルナに、パニックになりました。

もう23歳ですし(人間でしたら110歳を超えているらしいです)、いつか別れが来ることもわかっていましたが、あまりにも突然に一人にされることと、怯えながら苦しむ姿が辛くて、泣きながらヒーリングをしましたが様子が変わることはありませんでした。

その様子から何らかの脳の障害だと思いましたし、だったら病院に行っても仕方ないだろうとは思いましたが、自己診断で後悔したくなかったので翌日動物病院に行きました。
先生の診断は、脳の障害が原因だろうが、高齢なので検査のための麻酔も危険だし、発作止めも高齢になるほど効きが悪いうえ、副反応がきついので勧められないということでした。
先生のことも信頼してますし、同じように思っていたので、納得して帰り、またヒーリングを続けましたが、断続的な発作も私のパニックも収まらず、知人のアドバイスで別の動物病院にも診察に行きました。
しかし結果は同じで、ようやく開き直れた私は気持ちを切り替えることができたのでした。

翌日は母の命日でした。例年は一心寺でご祈祷してもらうのですが、ルナから目を離すことができなかったので、初めて自宅でお参りすることにした私は、大急ぎで買いに行ったお供えとお水を母の写真の前において座りました。
そして、ルナの愛に気付いたのです。

お葬式写真を飾るのが嫌な私は、母が公園で飼い犬を抱いた写真を額に入れていたのですが、その前に座った時、長い間目を逸らせていた気持ちを思い出したのです。飼い犬京子に対する大きな罪悪感でした。

京都の保護施設から来た京子は、うちに来てすぐジステンバーを発症しました。
獣医さんの話では、潜伏期間があるので施設で感染していたということでしたが、治療はできないと言われました。
その後3軒の病院で断られ、最終的に見てもらった先生の所で、
「ジステンバーは治っても、きつい後遺症が残るけど、それでも面倒をみる覚悟があるなら、僕が治す」と言ってもらい、何か月も家族と通った後、完治の宣言を頂いたのでした。

ジステンバーのウイルスは脳に入って死ぬということをのちに聞きましたが、京子の後遺症は後肢の脱臼と激しいてんかんでした。
常は一言も発しないのに、てんかんの時だけは大きな声で激しく泣き叫び、口から泡を吹き、糞尿を飛ばしながら動かないはずの後肢を激しく動かし、何かに振り回されているように全身を動かします。
毎回15分くらいで収まりますし、獣医さんには京子自身は苦しくないと言われていましたが、その疲労は大変なものの様でしたし、発症は深夜の事が多く、母を中心に家族の疲労もずいぶん長く続いていました。

ひと月ももたないと言われてから14年が過ぎた頃、海外に住んでいた親戚が一時、実家に泊まりに来た時、その実情をみて京子の安楽死を勧めました。ペットの安楽死は海外では珍しくない事と、苦しそうな京子の様子と、なにより母の体を案じての事でしたが、母には強く説得したようでした。

引っ越して獣医を変わり、一時収まっていたてんかんが激しさを増して以降、腫瘍が大きくなっている可能性があることから、病院からもそれらしい進言はされていましたが、それ以前にも激しい後悔(京子の前に飼っていたマルチーズも先天性のてんかんがあり、退院すると死ぬと言われたため連れて帰ることができず、病院で死なせてしまったのです)を持っていた私達は、何としても家で最後まで看取ると決めていたので、頭の中に安楽死と言う言葉は皆無でしたが、それ以降その三文字が頭をかすめるようになりました。

実家のマンションにはペット組合があり、防音もしっかりしていましたが、廊下からの騒音は入りやすく、共用部分でのペットの騒音についての苦情が度々張り出されるようになっていました。
外では声を出すことのない子でしたから、その心配はしていなかったのですが、防音の聞いた部屋でも深夜に泣き叫ぶことで、ご近所に迷惑をかけていると母はとても気に掛けていました。

私が事務所に泊まっていたある日の朝、憔悴しきった母から電話がありました。
「今日、病院に連れて行くから、付いてきて」
その日の早朝、廊下で京子が大声で泣き叫んだと母は泣いていました。そして母の事を思うと、もう私には止めることができませんでした。
父の車で病院に行き、私達のひざの上でという願いは聞いてもらえず、先生に抱かれた京子は何かを察したのか、激しく暴れて、逝きました。

安楽死などとはとても言えない最期の声と、激しい罪悪感が私の中に染みついて、誰にも言えず、京子の写真を直視することもできず十年近くが経ちました。

ルナの状態に目を配りながら、京子を抱く母の写真をみて、私の中に稲妻が走ったような気がしました。
痙攣に震えるルナを包み、必死で声を掛けていた私の心の中にあったのは、治してあげたい気持ちと同時に、それだけはやめて欲しい、「これが寿命なら受け入れます。でも、こんな発作で亡くなるのだけはやめてほしい」という祈りでした。私はルナの苦しみを前に、自分の持つ罪悪感におびえていたのです。

体験する全ては、私の内側を反映していると私は信じています。
でも、この時初めて、この経験に反映する私の罪悪感と怖れに目を向けることができたのです。
私のせいで、これ以上ルナを苦しませるわけにはいきません。
お参りを済ませた後、瞑想し、何時間もかけて大きな罪悪感を私は手放しました。
そして穏やかな感謝の気持ちでヒーリングをさせてもらい、それ以降ルナの痙攣は収まりました。

クライアントさんの過去の記憶について、「罪悪感には意味はありません。反省と学習は残して手放しましょう」と、言い続けてきた私でした。それに勝手にですが、もう転生せず今世で終わろうと決めた私は、心の中の暗いものを少しでも手放そうと心がけてきました。でも京子に対しての罪悪感を手放すことを諦め、自分の心に蓋をしてきたのです。

しかしルナの大きな愛があんなに苦しい思いをして、私の罪悪感を手放すことを助けてくれました。
ルナが私の天使だということは、ずっとわかっていましたが、本当に感謝しかありません。
今は写真の中の京子の優しい顔を見て、手を合わせることも出来ます。

人生の創造の中に登場する様々な存在の、愛と奉仕に心から感謝することを、また深く思い起こさせてくれる経験でした。

今回私は、なぜかこの話をすごく投稿したいと思いましたが、少し迷いもしました。
これを読んだ方の中に、身近な死や病について罪悪感を感じる人がいるのではないかと思ったからです。
私達の思考や観念や感情は、たしかに現実に反映すると信じていますが、生と死だけはそれぞれの魂の尊厳のもとに起こると聞いています。ですから決して罪悪感を持つことがないようにお願いします。誰の責任でもないのです。

今回のルナの病気について、もう一つ書きたいことがあったのですが、長くなりすぎたので、またいつかの機会に。
ありがとうございました。

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愛のはなし ①

先日、アプリシエイトメディテーションの紹介をさせて頂いた時、
私は文頭に「愛は全てを変容させる力です」と書きましたが、それについてもう少し書かせて頂きたいと思います。

若い頃の私は、愛という言葉が嫌いでした。
そもそもの理由は自分自身を愛せなかったことにあったのですが、それ以外にも愛という言葉の意味を理解せず、
観念的にとらえていたからでもありました。

愛するとは思いやること、大切に思うこと、優しくすること、好きになること、愛は正しいもの、善きこと。
愛についてそんな風に思っていた頃、愛することは差別的で利己的なことに思えて、私は愛を拒否し続けていました。

しかしヒーリングや様々なセラピーを学ぶうち、それを効果的にするために愛から目をそむけることは出来なくなりました。
そして、愛が観念ではなく実際にパワー(エネルギー)であることを知りました。

愛はあるがままに受け入れることで、全ての塊を溶かします。
ヒーリングでは、目に見える肉体や目に見えないエネルギー体の塊を熔解し、心の中に作った感情の塊を溶かします。

体や心の痛みがある時、人はその痛みを早く消したい、無くしたいと思います。
それは受容とは逆の、拒絶や抵抗の思いです。
そのような思いは、あるがままの心や体を見ることを拒み、否定し攻撃するのですが、それは自らを攻撃していることに他なりません。

想像してください。
片方の手の小指がが傷をおって痛んでいるとします。
小指の痛みのせいで他の指の動きが悪くなったり、手のひら全体でものがつかめにくくなくなったとします。
小指にいら立ったあなたは、他の指で抑え込んだり、引っ掻いたり押さえつけたりするのですが、
引っ掻いたりしたことで手のひらまで傷が広がったり、力を入れて抑え込むから他の指まで硬くなったりと、傷が癒されるどころか、その手はますます使えなくなるばかりです。
そしてその手が使えなくなったあなたは、以前より健康になったとは、とてもじゃないけど言えません。

実際には指を怪我して、そんなことをする人はいないと思います。
しかし心でも体でも、自分の一部を否定して見ないようにしたり、敵視したりしていることがあれば、それと同じ。
同じ体の中で、ある側面を攻撃したら結局は体全体を傷つけることになるのです。

お薬を塗ったり冷やしたり、お医者さんで治療を受けるにしても、その傷を否定したり、腹を立てて抵抗を感じながら治そうとしたり、戦おうとするなら治癒力を本来のパワーで使う事はできません。

戦うのは体ではなく傷や病気だと思われるかもしれませんが、傷や痛みや病気であってもその方の一部なのです。

心や体の傷を癒そうとする時、治癒力の持つ力を最大限に生かす為には、愛が必要です。
最初に書いたように、愛は受容です。
その痛みや抵抗を感じる部分をあるがままに受け入れることが出来たら、それだけで癒しは始まります。

痛みや傷や自分の嫌な部分を愛するなんて!受け入れるなんて!そんなことできるはずない!って思うのは当たり前なのかもしれません。・・・これまでは。
でも、それが本当にパワーだと、まずは知ることから始めて下さい。

そして、今はそれを受け入れられない自分を愛して下さい。

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アプリシエイテイブ メディテーション

お久しぶりです。
唐突ですが、新しい瞑想会を始めることになりましたので、お知らせさせて頂きます。
興味を持たれた方は、ぜひ!!ご連絡お待ちしてます!!




―愛によって変容を起こす瞑想―
Appreciative meditation アプリシエイティブ メディテーション


愛は全てを変容させる力です。
抵抗と拒絶は何事も変容させることはできません。
愛は受容です。
あるがままの姿を観察して、ニュートラルな心で受け入れることです。

Appreciativeという言葉は正確な観察と感謝という意味を持ち、それは愛に通じる姿勢です。内観を通してそれを行う瞑想をAppreciative meditationと名付けました。

様々な事象に対して変容を促すための瞑想を、少人数のグループで始めたいと思います。
意識を内側に向け、流れるエネルギーや思いをあるがままに観察しながら、滞ったエネルギーを解放しましょう。
自己の内観と愛による変容をリラックスして存分に楽しんでください。

テーマは個人的なことから地球規模の事まで、不調和を感じる部分に調和を招き入れるものであればどのようなものでもグループの希望に沿って行います。

グループで行う事によってお互いをサポートすることが出来ますので、ご希望の方は3人以上のグループでお申し込みください。曜日、時間はグループの方のご都合に合わせてセッティングさせて頂きます。

場 所     ヒーリングスペースtobira(大阪市谷町六丁目)
        ※静かで落ち着けるスペースがございましたら出張も可能です。
所要時間  約1時間半 
        ※グループにより前後します。ご了承下さい。
参加費    お一人 1,200円
        ※出張の場合は申し訳ありませんが、別途経費のご負担をお願い致します。

お問合せ
ヒーリングスペースtobira  セラピスト 保坂よし子
http://www.tobira-door.com/ 
090-6670-0352

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tarot

大変お久しぶりです

突然ですが、私の職場tobiraで、タロットリーディングを始めることになりました。
私のことを良く知る友達は一様に意外に思ったようですが、誰よりも意外に思ったのは私自身。
何故かと言いますと、これまでの私は占いと呼ばれるものに対して否定的な部分があったからです。

と言ってもずっとそうだったわけではなく、女学生の頃から30歳位までは、一般的な女性と同じく、私も占い大好き少女(?)でした。
よく当たると思う、TVや女性誌の占いは必ずチェックして一喜一憂し、四柱推命や姓名判断、なんとか占星術なども一生懸命読みました。
それに体が弱かったので、母に連れられて度々霊媒師と呼ばれる人の所にも行きましたし、彼らの予言や千里眼の的中率に驚き、それらを参考に生活していた時期もありました。
しかし今は人生は自分の持つ観念の反映で引き寄せの法則に従うと思っているので、自分が変わればその瞬間に一瞬先の人生は変化すると思っていて、決め込まれた運命や性質をうたう占いというものに興味を失ってしまったのです。

生年月日や血液型などで言われる基本的な性質や運命の方向がある事は、確かにあるのだろうとは思っていますし、私達が或る日のある時間、ある場所に産まれてきたことは偶然ではないとも思っているので、その基本的な運命の方向や性質を選んで産まれてきたことにも目的があるに違いないと思っています。

でも、生まれてきた日や名前の持つ運命に従うしかないとしたら、常に自由意思を尊重するという宇宙の法則に合いません。ですから私は、その基本的な運命の流れや性格を持ちながら自分が何を選択して生きるのかが、私達の人生を作り上げていくのだと思っています。

で、なぜタロットを始めたかという話ですが、タロットカードがそれをした時の自分自身を映し出す鏡のようなものだと解かったからです。
それは意識的に気づいていない自分から、意識的に知っている自分へのメッセージとして受け取ることができるのです。

これまでの私のカウンセリングでは、色々な方法で誘導しながら、お客様自身に心の中を少しずつ覗いて頂いて、意識の深いところにある自分自身も気づいていない本心に向き合って頂く、そしてそこからセラピーを行うという方法に絞っていたのですが、タロットを使うことで、そこを少し端折ることができます。

タロットによって今の自分の心の中を見つめ、今の地点から予測される先の現実を覗いて、それがOKなら自分にとっての正しい位置に居ると確認することが出来ますし、NOなら質問に関する何かを見直す必要があると教えてくれます。
そして、その原因を見つけたり、変化させるためのヒントももらうこともできます。
それらはカードを使わなくても出来るのですが、苦手な方もいらっしゃいますし、タロットが好きな方には選択できるという事です。
どちらであってもその先につながる今の自分を変化させるために、色々な方法を使ってセラピーをすることが可能なのです。

GWはご近所のお店の前で、ワンコイン(500円)オープンタロットで楽しむつもりです。
お時間のある方、興味のある方は是非お越しください。
(詳しくはHPのお知らせをご覧ください)

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動物実験廃止~自信について

先日、化粧品会社の資生堂が4月から動物実験を廃止するというニュースを読みました。

動物保護に意識の高い、ヨーロッパではかなり前からそのような方針で運営している化粧品会社が多く、私自身も、動物実験について知ってからは、長年そういうことをする化粧品会社の製品は使ってきませんでしたが、日本において最大手ともいえるかもしれない会社が、ようやくその方向に舵をきったことに、安堵しました。これを機に他の会社も続いてもらいたものです。

動物実験については、基本的に動物の体と人間は違うので意味がないという話や、インシュリンの開発に猿をつかったことで開発に大きな遅れがでたなど、様々な話も聞きましたし、できればしなくて良い方向に早く向かって欲しいとは思っていますが、科学的に何も実証のできない私はそれについてコメントすることはできません。

しかし、化粧品については全廃しても良いと思っています。化粧品やおしゃれで着る毛皮製品は、自分を美しく見せるだけのものです。
化粧品は私自身も使用しますし、化粧品自体を否定しているわけではありませんが、そのために動物実験は必要ないと思いますし、毛皮については日本の風土には必要ない上、合成皮革も発達しているのですから廃止しても構わないんじゃないかと思っています。

以前美容関係の仕事をしていた知人は、知り合った頃「毛皮は人を美しく見せる。ファッションなんだし、自分を輝かせて自信を持つのは良いことだと」と言っていました。
しかし毛皮採取の実情を映像で見た彼は、一瞬にして180度考えを変えました。
私との会話の後、毛皮の問題に関心を持った彼は、実情を知るためネットであれこれ探すうちににその映像を目にしたのですが、その映像は彼の信念を一瞬で変えるほどのすさまじいものでした。以前私もそれを見ましたが、何日も寝る前に目に浮かぶ、あまりにも悲しい残虐な映像でした。

できればそんな映像は、見てほしくありません。しかしほんの少し想像力を働かせてみたら良いのだと思います。
何匹ものミンクを使ったコートに、何匹のミンクの死があるのか。
そういうことを言うと、食肉の話を持ち出す人がいます。
私自身はいつかはそういう事もなくなれば良いなと思っていますが、今現在は身体のために必要なのでしたら、栄養を頂けることに感謝して、頂くのが最善かと思っています。

しかし自分を飾るために、動物を犠牲にする必要は皆無だと思っています。
何も考えずに使っている人たちは、実情を学んで欲しいと思いますが、物や預金額や地位や学歴で外側から自分を輝かせなければ自信の持てない人は、際限なくそれを続けたとしても、最終的に本当の自信を得ることはできないでしょう。

自信は、自分の内側に育てるものです。
私自身も昔は自分に自信がなく、いくら周囲に褒められても受け入れられず否定したり、疑ったりしていました。
だからと言って、身なりを飾りたてたり自分を大きく見せようとはしませんでしたが、内側はそういう人達と同じだったのです。

昨日友人に、元野球選手の桑田さんが言っていた言葉に感動したという話を聞きました。彼は「自信を持つためには人から褒められても無理なんだ。自分で自分を褒めなければ」というようなことを言っていたそうです。
本当に、そういう事だと思います。
前回のブログで書いたインナーチャイルドを育てるということがまさしくそういう事なのです。
インナーチャイルドが健康に育つと、良い意味で周りからの評価を気にせず、自分自身を成長させようと邁進することができます。
自分自身で自分を褒めることができないのは、人それぞれに理由がありますので、ここでまとめるわけにはいきませんが、それこそが本当に必要なことなのです。

動物実験の話からずいぶんそれてしまいましたが、それについてまた別の角度からのお話もさせて頂きたいと思っています。長文になったので、また次回で。
有難うございました。






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